平成30年-問4 憲法 精神的自由
Lv3
問題 更新:2023-01-30 13:38:00
学問の自由に関する次の記述のうち、妥当でないものはどれか。
- 学問研究を使命とする人や施設による研究は、真理探究のためのものであるとの推定が働くと、学説上考えられてきた。
- 先端科学技術をめぐる研究は、その特性上一定の制約に服する場合もあるが、学問の自由の一環である点に留意して、日本では罰則によって特定の種類の研究活動を規制することまではしていない。
- 判例によれば、大学の学生が学問の自由を享有し、また大学当局の自治的管理による施設を利用できるのは、大学の本質に基づき、大学の教授その他の研究者の有する特別な学問の自由と自治の効果としてである。
- 判例によれば、学生の集会が、実社会の政治的社会的活動に当たる行為をする場合には、大学の有する特別の学問の自由と自治は享有しない。
- 判例によれば、普通教育において児童生徒の教育に当たる教師にも教授の自由が一定の範囲で保障されるとしても、完全な教授の自由を認めることは、到底許されない。
正解 2
解説
学問研究を使命とする人や施設による研究は、真理探究のためのものであるとの推定が働くと、学説上考えられてきた。 1.妥当である
学問研究は、明治憲法下における天皇機関説のように政府による抑圧は許されないとされており、自由な立場での研究が要請され、学問研究を使命とする人や施設による研究は、真理探究のためのものであるとの推定が働くと、学説上考えられてきた。
先端科学技術をめぐる研究は、その特性上一定の制約に服する場合もあるが、学問の自由の一環である点に留意して、日本では罰則によって特定の種類の研究活動を規制することまではしていない。 2.妥当でない
日本では罰則によって特定の種類の研究活動を規制しており、妥当でない。
元来、学問研究の自由は、憲法23条により保障され、研究内容の制限は許されないとされてきたが、近年における遺伝子治療やヒトクローン技術等の先端科学技術をめぐる研究は、生命身体に対して多大なリスクがあり、場合によっては人間の尊厳にかかわる重大な事案であるため、特別の制限が許されるとされている。
たとえば、ヒトに関するクローン技術等の規制に関する法律3条は、「何人も、人クローン胚、ヒト動物交雑胚、ヒト性融合胚又はヒト性集合胚を人又は動物の胎内に移植してはならない」と規定し、同法16条は、「第3条の規定に違反した者は、10年以下の懲役若しくは1,000万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する」と規定している。
判例によれば、大学の学生が学問の自由を享有し、また大学当局の自治的管理による施設を利用できるのは、大学の本質に基づき、大学の教授その他の研究者の有する特別な学問の自由と自治の効果としてである。 3.妥当である
判例は「大学の学問の自由と自治は、大学が学術の中心として深く真理を探求し、専門の学芸を教授研究することを本質とすることに基づくから、直接には教授その他の研究者の研究、その結果の発表、研究結果の教授の自由とこれらを保障するための自治とを意味すると解される。
大学の施設と学生は、これらの自由と自治の効果として、施設が大学当局によって自治的に管理され、学生も学問の自由と施設の利用を認められるのである。
もとより、憲法23条の学問の自由は、学生も一般の国民と同じように享有する。
しかし、大学の学生としてそれ以上に学問の自由を享有し、また大学当局の自冶的管理による施設を利用できるのは、大学の本質に基づき、大学の教授その他の研究者の有する特別な学問の自由と自治の効果としてである(最大判昭和38年5月22日)」としている。
判例によれば、学生の集会が、実社会の政治的社会的活動に当たる行為をする場合には、大学の有する特別の学問の自由と自治は享有しない。 4.妥当である
判例は「学生の集会が真に学問的な研究またはその結果の発表のためのものでなく、実社会の政治的社会的活動にあたる行為をする場合には、大学の有する特別の学問の自由と自治は享有しないといわなければならない(最大判昭和38年5月22日)」としている。
判例によれば、普通教育において児童生徒の教育に当たる教師にも教授の自由が一定の範囲で保障されるとしても、完全な教授の自由を認めることは、到底許されない。 5.妥当である
判例は「教師が公権力によって特定の意見のみを教授することを強制されないという意味において、また、子どもの教育が教師と子どもとの間の直接の人格的接触を通じ、その個性に応じて行われなければならないという本質的要請に照らし、教授の具体的内容及び方法につきある程度自由な裁量が認められなければならないという意味においては、一定の範囲における教授の自由が保障されるべきことを肯定できないではない。
しかし、大学教育の場合には、学生が一応教授内容を批判する能力を備えていると考えられるのに対し、普通教育においては、児童生徒にこのような能力がなく、教師が児童生徒に対して強い影響力、支配力を有することを考え、また、普通教育においては、子どもの側に学校や教師を選択する余地が乏しく、教育の機会均等をはかる上からも全国的に一定の水準を確保すべき強い要請があること等に思いをいたすときは、普通教育における教師に完全な教授の自由を認めることは、とうてい許されないところといわなければならない(最大判昭和51年5月21日)」としている。