令和3年-問47 一般知識等 政治
Lv4
問題 更新:2023-05-31 10:13:20
以下の各年に開催された近代オリンピック大会と政治に関する次の記述のうち、妥当なものはどれか。
- ベルリン大会(1936年)は、ナチス・ドイツが政権を取る前に、不戦条約と国際協調のもとで実施された。
- ロンドン大会(1948年)は、第2次世界大戦後の初めての大会で、平和の祭典であるため日本やドイツも参加した。
- 東京大会(1964年)には、日本とソ連・中華人民共和国との間では第2次世界大戦に関する講和条約が結ばれていなかったので、ソ連と中華人民共和国は参加しなかった。
- モスクワ大会(1980年)は、ソ連によるアフガニスタン侵攻に反発した米国が参加をボイコットし、日本なども不参加となった。
- サラエボ(冬季)大会(1984年)は、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争終結の和平を記念して、国際連合停戦監視団のもとに開催された。
正解 4
解説
ベルリン大会(1936年)は、ナチス・ドイツが政権を取る前に、不戦条約と国際協調のもとで実施された。 1.妥当でない
ベルリン大会(1936年)は、ナチス・ドイツの政権下で実施されている。
1931年、国際オリンピック委員会は、1936年夏季オリンピック大会の開催地をベルリンに決定した。その2年後の1933年に、ナチ党の党首アドルフ・ヒトラーはドイツの首相となり政権を取った。したがって、ベルリン大会の1936年はナチス・ドイツ政権下であった。
なお、ベルリン大会で五輪史上初めて聖火リレーが行われた。
ロンドン大会(1948年)は、第2次世界大戦後の初めての大会で、平和の祭典であるため日本やドイツも参加した。 2.妥当でない
ロンドン大会(1948年)は、第2次世界大戦後の初めての大会となったが、敗戦国である日本やドイツは当該大戦を引き起こし、世界を混乱させたとする責任追及によって大会には招かれなかった。
東京大会(1964年)には、日本とソ連・中華人民共和国との間では第2次世界大戦に関する講和条約が結ばれていなかったので、ソ連と中華人民共和国は参加しなかった。 3.妥当でない
1964年に東京で開催された第18回オリンピック競技大会には94の国・地域が参加した。この中にソ連は入っているが、中華人民共和国は含まれていない。
モスクワ大会(1980年)は、ソ連によるアフガニスタン侵攻に反発した米国が参加をボイコットし、日本なども不参加となった。 4.妥当である
ソ連のアフガニスタンへの軍事侵攻に抗議して米国のカーター大統領がモスクワ大会のボイコットを西側諸国に呼びかけ、日本政府もそれに追随する。日本オリンピック委員会(JOC)は1980年5月24日、臨時総会を開いてモスクワ大会の不参加を決めた。
サラエボ(冬季)大会(1984年)は、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争終結の和平を記念して、国際連合停戦監視団のもとに開催された。 5.妥当でない
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争は、サラエボ(冬季)大会(1984年)後の1992年に勃発している。したがって、紛争終結の和平を記念して、国際連合停戦監視団のもとに開催されていない。
なお、ボスニア・ヘルツェゴビナは旧ユーゴ連邦を構成した共和国の一つで、旧ユーゴ連邦の崩壊が進む中、1992年4月、同共和国の独立を巡って民族間で紛争が勃発し、3年半以上にわたり各民族が同共和国全土で覇権を争って戦闘を繰り広げた結果、死傷者20万人、難民・避難民200万人といわれる戦後欧州で最悪の紛争となった。