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令和元年-問1 基礎法学 その他

Lv4

問題 更新:2022-12-27 22:04:18

次の文章の空欄[ ア ]~[ エ ]に当てはまる語の組合せとして、妥当なものはどれか。

もとより、わが国におけるヨーロッパ法輸入の端緒は、明治以前に遡り、わが留学生が最初に学んだヨーロッパ法学は[ ア ]法学であった。又、明治初年に[ イ ]が来朝して、司法省法学校に法学を講じ又1810年の[ ウ ]刑法を模範として旧刑法を起草するに及んで、[ ウ ]法学が輸入されることとなった。そうして、これらの[ ア ]及び[ ウ ]の法学は自然法論によるものであった。・・・(中略)・・・。しかし・・・解釈学の立場からは、一層論理的・体系的な[ エ ]法学が[ ウ ]法学よりも喜び迎えられることとなり、[ エ ]法学の影響は漸次に[ ウ ]法学の影響を凌駕するに至った。[ イ ]の起案に成る旧民法典の施行が延期された後、現行民法典の草案が[ エ ]民法典第一草案を範として作られるに至ったことは、かかる情勢を反映する。

(出典 船田享二「法律思想史」1946年から<旧漢字・旧仮名遣い等は適宜修正した。>)

1. オランダボアソナードフランスドイツ
2. イタリアロエスレルイギリスフランス
3. オランダボアソナードドイツフランス
4. イタリアボアソナードオランダドイツ
5. オランダロエスレルイギリスドイツ
  解答&解説

正解 1

解説

空欄に補充した文章は次のとおり。

もとより、わが国におけるヨーロッパ法輸入の端緒は、明治以前に遡り、わが留学生が最初に学んだヨーロッパ法学は[ア:オランダ]法学であった。又、明治初年に[イ:ボアソナード]が来朝して、司法省法学校に法学を講じ又1810年の[ウ:フランス]刑法を模範として旧刑法を起草するに及んで、[ウ:フランス]法学が輸入されることとなった。そうして、これらの[ア:オランダ]及び[ウ:フランス]の法学は自然法論によるものであった。・・・(中略)・・・。しかし・・・解釈学の立場からは、一層論理的・体系的な[エ:ドイツ]法学が[ウ:フランス]法学よりも喜び迎えられることとなり、[エ:ドイツ]法学の影響は漸次に[ウ:フランス]法学の影響を凌駕するに至った。[イ:ボアソナード]の起案に成る旧民法典の施行が延期された後、現行民法典の草案が[エ:ドイツ]民法典第一草案を範として作られるに至ったことは、かかる情勢を反映する。

(出典 船田享二「法律思想史」1946年から<旧漢字・旧仮名遣い等は適宜修正した。>)

日本の現行民法典は、「パンデクテン方式」という形式によって作られている。
パンデクテン方式とは、共通する概念について個別規定に先立ち総則としてまとめることにより体系的に編さんする方式のことで、ドイツ民法典草案に強く影響を受けている。

<パンデクテン方式のイメージ>
民法
   ●総則
   (共通事項)
┗●物権
┗●債権
┗●親族
┗●相続

ア.オランダ

明治以前の日本において、日本人留学生が最初に学んだヨーロッパ法学は、オランダ法学である。
1862年(文久2年)、幕府の命によりオランダに留学した津田真道、榎本武揚、西周らは、シモン・フィッセリングに法学、経済学、国際法などを学んだ。

イ.ボアソナード、ウ.フランス

(ギュスターヴ・エミール・ボアソナード)
フランスの法学者。明治政府により法律顧問として招聘を受け、司法省法学校において、フランス法の講義をした。
フランス刑法典を基本にした旧刑法の起草やフランス民法典を基本にした旧民法の起草を行った。

エ.ドイツ

現行民法典の草案は、ドイツ民法典第一草案に倣い、上記解説のようにパンデクテン方式によって構成、記述された。
もっとも、ドイツ民法典だけではなく、肢イ、ウのフランス民法典等も参照された。

なお、選択肢イの「ロエスレル」(ヘルマン・ロエスレル)はドイツの法学者であり、大日本帝国憲法草案作成に対し影響を与えた人物である。

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