令和4年-問47 一般知識等 政治
Lv3
問題 更新:2023-01-17 10:50:46
ロシア・旧ソ連の外交・軍事に関する次の記述のうち、妥当なものはどれか。
- 1853年にロシアはオスマン朝トルコとウクライナ戦争を起こし、イギリス・フランスがトルコ側に参戦して、ウィーン体制に基づくヨーロッパの平和は崩壊した。
- 第一次世界大戦の末期の1917年に、ロシアでいわゆる名誉革命が生じ、革命政権は「平和に関する布告」を出し、社会主義インターナショナルの原則による和平を求めた。
- 独ソ不可侵条約・日ソ中立条約を締結してから、ソ連は1939年にポーランドに侵攻して東半分を占領し、さらにフィンランドとバルト三国とスウェーデンも占領した。
- 1962年にキューバにソ連のミサイル基地が建設されていることが分かり、アメリカがこれを空爆したため、キューバ戦争が起こった。
- 1980年代前半は新冷戦が進行したが、ソ連の最高指導者ゴルバチョフは新思考外交を展開し、1989年の米ソ両首脳のマルタ会談において、東西冷戦の終結が宜言された。
正解 5
解説
1853年にロシアはオスマン朝トルコとウクライナ戦争を起こし、イギリス・フランスがトルコ側に参戦して、ウィーン体制に基づくヨーロッパの平和は崩壊した。 1.妥当でない
1853年に起こった戦争は「クリミア戦争」である(1853年~1856年)。
クリミア戦争は、クリミア半島を戦場とした実質ロシア対フランス・イギリス連合軍(オスマン朝トルコを支援する形で参戦)の争いである。クリミア戦争を経て1856年、パリ講和会議にてパリ条約が締結された。
クリミア戦争はウィーン体制を完全に崩壊させたと言われるが、ウィーン体制の実質的崩壊はそれ以前の1848年フランスの二月革命による。
ウィーン体制とは、19世紀ヨーロッパにおける国際的体制で、フランス革命・ナポレオン戦争で荒廃混乱したヨーロッパを革命前の絶対王政に戻すものであり、比較的長期の安定をもたらしていた。
第一次世界大戦の末期の1917年に、ロシアでいわゆる名誉革命が生じ、革命政権は「平和に関する布告」を出し、社会主義インターナショナルの原則による和平を求めた。 2.妥当でない
「ロシアでいわゆる名誉革命が生じ」「社会主義インターナショナルの原則による和平」という点が妥当でない。
第一次大戦末期の1917年にロシアで起こったのはいわゆる「第二次ロシア革命(二月革命・十月革命)」である。
それまでロシアは皇帝による君主制であったが、ロシア革命により史上初の社会主義国家であるソビエト連邦樹立に繋がった。
そして「平和に関する布告」とは、ロシア革命(十月革命)中に、レーニン率いる革命政権が第一次世界大戦の交戦国に対し、第1次世界大戦をただちにやめ、公正で民主的な講和を結ぶよう提案したものである。
秘密外交の廃止と公開外交の実施、秘密条約の暴露を宣言して、20世紀における戦後処理の民主的原則と外交のあり方を提示した提案したものである。
なお、「名誉革命」は、1688年から1689年にかけて、イギリスで起こったクーデター事件である。
イギリスの議会が国王ジェームズ2世を追放し、政治体制を刷新した。
さらに「社会主義インターナショナル」とは民主社会主義や社会民主主義を掲げる政党の国際組織で、1951年に創設、本部はロンドンにある。日本は社会民主党が加盟している。
独ソ不可侵条約・日ソ中立条約を締結してから、ソ連は1939年にポーランドに侵攻して東半分を占領し、さらにフィンランドとバルト三国とスウェーデンも占領した。 3.妥当でない
日ソ中立条約締結は1941年で、ソ連がポーランドに侵攻したあとである。
また、「スウェーデンも占領した」という点も妥当でない。
1939年8月23日 | 独ソ不可侵条約締結 |
1939年9月1日 | ドイツがポーランド侵攻(第二次世界大戦勃発) |
1939年9月17日 | ソ連がポーランド侵攻 |
1939年11月30日 | ソ連がフィンランド侵攻 |
1940年6月 | ソ連がバルト三国に侵攻 |
1941年4月13日 | 日ソ中立条約締結 |
(中略) | |
1945年9月2日 | 第二次世界大戦終結(日本が降伏文書に署名) |
■独ソ不可侵条約締結
ナチス・ドイツとソビエト連邦の間に締結された軍事同盟。秘密協定でポーランドの分割、バルト三国のソ連による占領を承認した。
■日ソ中立条約締結
日本とソ連が結んだ領土保全と不侵略を相互に約束した条約。1945年4月にソ連は不延長を通告、8月8日に破棄し満州に侵攻した。
■スウェーデンの立場
スウェーデンの「中立政策」は19世紀、1834年国王カール14世によって宣言された。これは国王が一方的に宣言したものであったが、時期的なブレや時の政権による秘密外交があったとしても表だっては国是として守られている。
第二次世界大戦においても厳正な中立を守り、参戦せず、ソ連による占領もされていない。
1962年にキューバにソ連のミサイル基地が建設されていることが分かり、アメリカがこれを空爆したため、キューバ戦争が起こった。 4.妥当でない
「アメリカがこれを空爆したため、キューバ戦争が起こった」という点が妥当でない。
戦争の一歩手前の状態にはなったが、戦争は起きていない。
1962年キューバにソ連の核ミサイル基地が建設されていることが分かり、アメリカが、直ちにカリブ海でキューバを海上封鎖し、一触即発の危険な状態に陥った。
しかし、当時のアメリカ合衆国ケネディ大統領とソビエト連邦フルシチョフ第一書記とで書簡をやり取りし、最終的にソ連が核ミサイルを撤去してこの危機は終わった。「キューバ危機」と呼ばれる。
1980年代前半は新冷戦が進行したが、ソ連の最高指導者ゴルバチョフは新思考外交を展開し、1989年の米ソ両首脳のマルタ会談において、東西冷戦の終結が宜言された。 5.妥当である
「マルタ会談」とは、1989年12月2日から12月3日にかけて、地中海のマルタで行われたアメリカ合衆国ジョージ・H・W・ブッシュ大統領とソビエト連邦ミハイル・ゴルバチョフ書記長両国の首脳会談である。
これをもって、44年間続いた東西冷戦は終結した。