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令和3年-問5 憲法 精神的自由

Lv2

問題 更新:2023-01-27 20:16:51

地方公共団体がその土地を神社の敷地として無償で提供することの合憲性に関連して、最高裁判所判決で考慮要素とされたものの例として、妥当でないものはどれか。

  1. 国または地方公共団体が国公有地を無償で宗教的施設の敷地として提供する行為は、一般に、当該宗教的施設を設置する宗教団体等に対する便宜の供与として、憲法89条*との抵触が問題となる行為であるといわなければならない。
  2. 一般的には宗教的施設としての性格を有する施設であっても、同時に歴史的、文化財的な保護の対象となったり、観光資源、国際親善、地域の親睦の場としての意義を有するなど、文化的・社会的な価値に着目して国公有地に設置されている場合もあり得る。
  3. 日本では、多くの国民に宗教意識の雑居性が認められ、国民の宗教的関心が必ずしも高いとはいえない一方、神社神道には、祭祀儀礼に専念し、他の宗教にみられる積極的な布教・伝道などの対外活動をほとんど行わないという特色がみられる。
  4. 明治初期以来、一定の社寺領を国等に上知(上地)させ、官有地に編入し、または寄附により受け入れるなどの施策が広く採られたこともあって、国公有地が無償で社寺等の敷地として供される事例が多数生じており、これが解消されないまま残存している例もある。
  5. 当該神社を管理する氏子集団が、宗教的行事等を行うことを主たる目的とする宗教団体であり、寄附等を集めて当該神社の祭事を行っている場合、憲法89条*の「宗教上の組織若しくは団体」に該当するものと解される。

(注) * 憲法89条
公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。

  解答&解説

正解 3

解説

本問は空知太(そらちぶと)神社訴訟(最判平成22年1月20日)の判例細部までを問うものである(肢3のみ津地鎮祭訴訟(最大判昭和52年7月13日)の判例)。
空知太神社訴訟では、国公有地が無償で宗教的施設の敷地としての用に供されている状態が、憲法89条に違反するか否かを判断するにあたっては、当該宗教的施設の性格、当該土地が無償で当該施設の敷地としての用に供されるに至った経緯、当該無償提供の態様、これらに対する一般人の評価等、諸般の事情を考慮し、社会通念に照らして総合的に判断すべきとした上で、砂川市が無償で神社に市有地を提供していることは違憲であるとした(空知太神社訴訟:最大判平成22年1月20日)。

なお、当該判例で使われた判断基準は、津地鎮祭訴訟判決及びそれ以降の宗教分離訴訟で踏襲されてきた目的効果基準と異にするものであるが、政教分離全般の判断基準が「目的効果基準→当該基準」と変更されたわけではなく、公有地の無償提供を放置するという継続的かつ不作為的な事案では、主体と時期の特定が困難であり、同時に目的・効果の判断も困難という事情があったため当該基準を用いたもので、今後は事案によって両基準が使い分けられるものと推測される。

近年では、儒教の祖を祭る孔子廟(こうしびょう)に那覇市が公有地を無償提供したことが、憲法の政教分離の原則に違反するかどうかが問われた住民訴訟で、空知太神社訴訟で示された「施設の性格、無償提供の経緯や態様、一般人の評価を総合的な判断基準が用いられた(孔子廟土地無償提供事件:最大判令和3年2月24日)。

国または地方公共団体が国公有地を無償で宗教的施設の敷地として提供する行為は、一般に、当該宗教的施設を設置する宗教団体等に対する便宜の供与として、憲法89条*との抵触が問題となる行為であるといわなければならない。 1.妥当である

本肢は空知太神社訴訟に関するもので、市が所有する土地を神社施設の敷地として無償で使用させていることは、憲法の定める政教分離原則に違反する行為であるか否かが争点となった。
判例は「国または地方公共団体が国公有地を無償で宗教的施設の敷地としての用に供する行為は、一般的には、当該宗教的施設を設置する宗教団体等に対する便宜の供与として、憲法89条との抵触が問題となる行為であるといわなければならない」とした。

「憲法89条は、公の財産を宗教上の組織又は団体の使用、便益若しくは維持のため、その利用に供してはならない旨を定めている。
その趣旨は、国家が宗教的に中立であることを要求するいわゆる政教分離の原則を、公の財産の利用提供等の財政的な側面において徹底させるところにあり、これによって、憲法20条1項後段の規定する宗教団体に対する特権の付与の禁止を財政的側面からも確保し、信教の自由の保障を一層確実なものにしようとしたものである。
しかし、国家と宗教とのかかわり合いには種々の形態があり、およそ国又は地方公共団体が宗教との一切の関係を持つことが許されないというものではなく、憲法89条も、公の財産の利用提供等における宗教とのかかわり合いが、我が国の社会的、文化的諸条件に照らし、信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超えるものと認められる場合に、これを許さないとするものと解される。」

「国又は地方公共団体が国公有地を無償で宗教的施設の敷地としての用に供する行為は、一般的には、当該宗教的施設を設置する宗教団体等に対する便宜の供与として、憲法89条との抵触が問題となる行為であるといわなければならない。」(最判平成22年1月20日)

一般的には宗教的施設としての性格を有する施設であっても、同時に歴史的、文化財的な保護の対象となったり、観光資源、国際親善、地域の親睦の場としての意義を有するなど、文化的・社会的な価値に着目して国公有地に設置されている場合もあり得る。 2.妥当である

本肢は、無償提供の背景についてである。
判例は「一般的には宗教的施設としての性格を有する施設であっても、同時に歴史的、文化財的な建造物としての保護対象であったり、観光資源、国際親善、地域の親睦の場として意義を有するなど、文化的・社会的な価値や意義に着目して国公有地に設置されている場合もあり得る」とした。

「国公有地が無償で宗教的施設の敷地としての用に供されているといっても、当該施設の性格や来歴、無償提供に至る経緯、利用の態様等には様々なものあり得ることが容易に想定されるところである」
「一般的には宗教的施設としての性格を有する施設であっても、同時に歴史的、文化財的な建造物として保護の対象となるものであったり、観光資源、国際親善、地域の親睦の場などといった他の意義を有していたりすることも少なくなく、それらの文化的あるいは社会的な価値や意義に着目して当該施設が国公有地に設置されている場合もあり得よう」(最判平成22年1月20日)

日本では、多くの国民に宗教意識の雑居性が認められ、国民の宗教的関心が必ずしも高いとはいえない一方、神社神道には、祭祀儀礼に専念し、他の宗教にみられる積極的な布教・伝道などの対外活動をほとんど行わないという特色がみられる。 3.妥当でない

津地鎮祭事件の判例は、「元来、わが国においては、多くの国民は、地域社会の一員としては神道を、個人としては仏教を信仰するなどし、冠婚葬祭に際しても異なる宗教を使いわけてさしたる矛盾を感ずることがないというような宗教意識の雑居性が認められ、国民一般の宗教的関心度は必ずしも高いものとはいいがたい。
他方、神社神道自体については、祭祀儀礼に専念し、他の宗教にみられる積極的な布教・伝道のような対外活動がほとんど行われることがないという特色がみられる。
このような事情と前記のような起工式に対する一般人の意識に徴すれば、建築工事現場において、たとえ専門の宗教家である神職により神社神道固有の祭祀儀礼に則って、起工式が行われたとしても、それが参列者及び一般人の宗教的関心を特に高めることとなるものとは考えられず、これにより神道を援助、助長、促進するような効果をもたらすことになるものとも認められない。
そして、このことは、国家が主催して、私人と同様の立場で、本件のような儀式による起工式を行った場合においても、異なるものではなく、そのために、国家と神社神道との間に特別に密接な関係が生じ、ひいては、神道が再び国教的な地位をえたり、あるいは信教の自由がおびやかされたりするような結果を招くものとは、とうてい考えられないのである。
以上の諸事情を総合的に考慮して判断すれば、本件起工式は、宗教とかかわり合いをもつものであることを否定しえないが、その目的は建築着工に際し土地の平安堅固、工事の無事安全を願い、社会の一般的慣習に従った儀礼を行うという専ら世俗的なものと認められ、その効果は神道を援助、助長、促進し又は他の宗教に圧迫、干渉を加えるものとは認められないのであるから、憲法20条3項により禁止される宗教的活動にはあたらないと解するのが、相当である」(津地鎮祭事件最判昭和52年7月13日)としている。

これは起工式の挙式費用と政教分離原則との合憲性について考慮要素としているだけで、本問で問われている「地方公共団体がその土地を神社の敷地として無償で提供することの合憲性」の考慮要素としての判示ではない。

明治初期以来、一定の社寺領を国等に上知(上地)させ、官有地に編入し、または寄附により受け入れるなどの施策が広く採られたこともあって、国公有地が無償で社寺等の敷地として供される事例が多数生じており、これが解消されないまま残存している例もある。 4.妥当である

本肢は、無料提供の背景についてである。

判例は「明治初期以来、一定の社寺領を国等に上知(上地)させ、官有地に編入し、または寄附により受け入れるなどの施策が広く採られたこともあって、国公有地が無償で社寺等の敷地として供される事例が多数生じ、現在に至っても解消されていない状況が相当数あるという事情は、当該利用提供行為が、一般人の目から見て特定の宗教に対する援助等と評価されるか否かに影響するものと考えられるから、政教分離原則との関係を考えるにあたっても、重要な考慮要素とされるべきもの」とした。

「我が国においては、明治初期以来、一定の社寺領を国等に上知(上地)させ、官有地に編入し、又は寄附により受け入れるなどの施策が広く採られたこともあって、国公有地が無償で社寺等の敷地として供される事例が多数生じた。
このような事例については、戦後、国有地につき「社寺等に無償で貸し付けてある国有財産の処分に関する法律」(昭和22年法律第53号)が公布され、公有地についても同法と同様に譲与等の処分をすべきものとする内務文部次官通牒が発出された上、これらによる譲与の申請期間が経過した後も、譲与、売払い、貸付け等の措置が講じられてきたが、それにもかかわらず、現在に至っても、なおそのような措置を講ずることができないまま社寺等の敷地となっている国公有地が相当数残存していることがうかがわれるところである。」

「これらの事情のいかんは、当該利用提供行為が、一般人の目から見て特定の宗教に対する援助等と評価されるか否かに影響するものと考えられるから、政教分離原則との関係を考えるにあたっても、重要な考慮要素とされるべきものといえよう。」(最判平成22年1月20日)

当該神社を管理する氏子集団が、宗教的行事等を行うことを主たる目的とする宗教団体であり、寄附等を集めて当該神社の祭事を行っている場合、憲法89条*の「宗教上の組織若しくは団体」に該当するものと解される。 5.妥当である

本肢は、空知太神社を実質的に管理していた氏子集団に関するものである。

この氏子集団が憲法89条にいう「宗教上の組織若しくは団体」か否かについて、判例は、「この氏子集団は、宗教的行事等を行うことを主たる目的としている宗教団体であって、寄附を集めて本件神社の祭事を行っており、憲法89条にいう「宗教上の組織若しくは団体」にあたるものと解される。」としている。

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